新しい普通

就職して一番驚いたのは「昭和ですか」「話では聞いていたけどまさか実在しているとは」と思うような、女性蔑視を持った人間がまだいるということだった。

物心付いた時にはすでに平成で、ぎりぎり「ゆとり教育」を受けなかった年の生まれですが、運動ができるのもできないのも勉強ができるのもできないのも他のこ とでも、それは個々人の特性が大きく、性差があっても男女どちらに優劣があるものではないという教育を受け、また教育を受けないでもそのような実感が共有 されていたと思います。

びっくりしてその場は「いやそれは人によって違うんじゃないですか」と濁してしまい、後で同期に聞くと「表立っては言われないけど、あることだよ」と教えてくれた。

これは今の20・30代以下の世代が40・50代になって遅れた価値観に対抗できるボリュームになるまで、なくならないんだろうか。

上の世代にまともな人がいるように、自分たちの世代にもオカシナ奴はいるんだろうけど、そうできるだろうし、そうできると思わないとやってられない。

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そもそも、妄説をふりかざして野蛮人の風を楽しんでいる人間も、まさか木のうろから生まれたわけじゃあるまい、お母さんがいて、場合によってはお姉さんや妹や叔母さんや従姉妹がいる。たとえ今はいなくとも、小さい頃や学生時代は女ともだちがいたわけでしょう。

結婚しているならば、大事にしたい人がいるわけだし、もしかしたら娘さんだっているのかもしれない。

身の回りに女性がいるのに、どうしてそんなことができるのか。

「自分にとって親しい人が、理不尽な嫌がらせを受けるかもしれない・受けていた・受けている」

そう考えればまず自分の周囲からそういうものをなくそうと考えるのが自然じゃないだろうか。

そう思わない人とは、正直なところ席を同じくしたくない。

性別や国籍、生まれつきのことを理由に人を貶めるような人間を、卑劣というのです。

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相手にはどうしようもないことを見つけて、それを貶める。

現実がそうじゃないかと嘯いて、自分のすることを追認させる。

最もイージーで、情けない行動様式。

「男だから」「企業に勤めているから」「世間ではそうだから」「新聞が」「テレビが」「○○さんが」「政府がそう言っているから」

いい加減、相手を安全に攻撃するために、自分が大きなものの側に属していると振る舞うのはやめませんか。

その「理由」は「だから自分はこうしてもいい」なんてことには全くならない。

あなたは所詮あなたで、大したもんじゃない。

そう思って一度深く呼吸して、肩の力を抜いて、目を休めてまわりを見てみたらどうだろうか。

その貸与されたマントを羽織ったところで空飛ぶ超人にはなれないし、気づいてないんだろうけど、色遣いから何からすごく悪趣味。

そんなことで虚勢を張るより、コーヒーを上手く淹れられるとか、楽器を弾く趣味があるとか、親戚や知り合いの子どもに釣りを教えられるとか、庭仕事の合間に近所の人と世間話ができるとか、そういうことの方がよっぽどまわりの人やあなた自身を幸せにするだろうと思う。

たくさんの人をひとまとめにして、大上段からバッサバッサと俺論を振り下ろして自分は偉くなったと思うのかもしれないけど、ただ乱暴で格好悪いだけです。

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相手を属性ではなく人として見ることができれば、自分自身もそう見ることができ、相手からもそう見られるんじゃないだろうか。

なにをもって息苦しい社会を維持しようとしているのかわからないけれど、もうそういうのは結構なので。

自分の選べないことで理不尽な扱いを受けるなんて、こんなバカなことはない。

当たり前なことが当たり前としてある、新しい普通というものを作っていきたいと思う。


Lōtophagoi