SNSの嫌がらせを見逃さない3つの理由

ネットでの嫌がらせについて考え続けている。
「自分には無関係だし、関わりたくない」
「何か言われる人には原因があるのだろう」
多くの人が声にこそださないが心で考えているこれらが
いかに間違った考え方であるか、3つの理由から考えたい。

1、当事者同士での解決は困難
SNSの嫌がらせは、学校という密室で行なわれるいじめや
家庭という閉じた空間で行なわれるDVによく似た構図である。

匿名であることをヴェールに、他からは見えないように
しつこく嫌がらせを繰り返す。
周囲の人びとをブロックし、
ターゲットとする人物はブロックせずに、
執拗に嫌がらせを繰り返す人物もいる。
ターゲットとなった当人の恐怖を想像して欲しい。
それを指摘する周囲には嫌がらせ自体が全く見えなくなる、
実に巧妙で悪質な方法である。

これを当事者同士で解決することを想像してほしい。
いじめやDVも当事者で解決することが困難だから
匿名で相談ができる場所や第三者機関がある。
SNSの嫌がらせにはそのような場所はまだない。
第三者が介入し、また再発がないように、
見守る必要があることは明白なのに。

また、すぐに法的措置をとることが日常生活でも様々なハードルが在るのと同様、ネットでの嫌がらせも「じゃあ弁護士に相談すればいいじゃないか」というのは簡単だが、証拠集めなど、時間的また精神的にも、
日常生活をおくりながら準備するには負担が大きい事を想像してほしい。

当然、いじめやDVが苛烈になり人権侵害がおきている時には
迅速に法的手段を考えるべきで、SNSでも同様だが、
SNSで嫌がらせを繰り返す人物は巧妙に、
わかりやすい殺害予告や人権侵害を避けながら
周到に言葉を選びながら、なにかと相手の発言をもとに難癖をつけ嫌がらせをしているのが実際だ。それを、法的措置に結びつける困難さを想像してほしい。

SNSの嫌がらせ事例にたいし第三者が介入する仕組みをつくることが急がれると同時に、それを見つけた人が自分の善の心にそって指摘し、
報告をし、嫌がらせを密室にせず、
周囲に広く知らせることがまず、必要だろう。
2、嫌がらせは終わらない、新たなターゲットを探すだけ
Twitterで多数のフォロワーがいる人には
たいてい、つきまとっている嫌がらせ人物がいる。
直接@で嫌がらせをせず
巧妙にハッシュタグで特定の人を差す呼び名をつくり、
あれこれ難癖をつける行為がそれだ。

「憂さ晴らし」
「気に食わなかった」それが理由なのだろうか。

憂さ晴らしで赤ちゃんの乗ったベビーカーに襲いかかり
笑顔が無いといってコンビニの店員を土下座させ蹴りとばし重傷を負わせる。
憂さ晴らしが瞬間的に暴発するのがこれらの事件なら、
わたしには言葉でしつこく粘着する行為もまた同様に、悪質だと思う。

彼らの目的は当該の人物がその嫌がらせに疲弊し、
人びとを信頼することを辞め、SNSから去るその日を目標にしているのだろう。
そうすれば憂さ晴らしが完成なわけだ。でも嫌がらせは終わるだろうか。
ここでもいじめと同様、終わらない、
また次のターゲットを探すだけなのだから。

嫌がらせを野放しにして、
「自分には無関係だし、関わりたくない」
「何か言われる人には原因があるのだろう」
と声にこそださずみないふりをすることは賢明な行為といえるだろうか?
いつその矛先が自分にむくともわからない。
自分にむくのが怖いから、
当たり障りのない楽しいことだけをつぶやけばよいのだろうか?
それで自由な言論など育つと言えるだろうか?
身の安全が守られてはじめて人びとは、
自分のいいたいことが言えるのだから。

嫌がらせを放置することは
自分の居場所もまた危険にさらし、自由な言論から遠ざけているのだ、
と認識することがスタートラインだろう。
3、嫌がらせを放置することは言論の場を汚すことと同義

映画監督の相田和弘氏は東京新聞のインタビュー「ネットと言論」で
嫌がらせを指摘するのは街中の「ゴミ拾い」のようなものだ。と言っていた。
でも、私はゴミ拾いよりももっと勇気のいる、難しい行為だと思う。
だからこそ、尊いのだと思う。

指摘する人に矛先が向き、悪意がぶちまけられるのを何度もみてきた。
それを避けるために言葉選びに慎重になり下をむく自分。
街中のゴミを拾って捨てる行為は誰に非難される行為ではないが、
ネットでの嫌がらせを指摘すると、指摘した本人に嫌がらせが及ぶことがある。
簡単ではない、勇気がいる行為。
だから見ないふりするのではなくて、
だから、やらねばならないのだと思う。
見かけた時に。自分が見かけたから。理由はそれだけだ。

ただ、嫌がらせが蔓延している様子は
かつてのニューヨークの”Broken Window theory”を思い出させる。
窓ガラスが割れてあれた街には犯罪が多く、
だから割れた窓ガラスを修理し、街を整えると犯罪が減る、という理論。
言論の場が嫌がらせや罵倒、聞きたくない言葉で荒れればあれるほど、
本来聞き取りたい言論や良質な言葉は失われてしまう。
嫌がらせに黙して下をむく行為は、
自分がいる場所の価値を下げる行為なのである。

 

まとめ

そろそろ、日本も誰もが安心して発言できるコミュニティを育てたい。

はてな、発言小町、yahooの質問箱。どれも閉鎖された空間で集団リンチが起きているのを目にしては、恐ろしくなりページを閉じる。
でも、Twitterは違うと思いたい。
大震災の時にわたしにとっては連絡網として真っ先に機能して、テレビや新聞以上に情報を早く得る。いわば、今やインフラの一つ。

Twitterで聞いて欲しい大事なこと、嬉しいことをシェアして、
共感してくれる、まだ見ぬ仲間と出会える場所にしていく。
嫌がらせや憂さ晴らしが大手をふるう場所ではなく、
誰もが安全な場所から、自由闊達な議論が交わされるきっかけとなる場所にしたい。

そう願うのは、夢物語ではないはず。

具体的な方法を最後に。

だまって相手をブロックするだけでは事なかれ主義と同じ、不十分。

嫌がらせを目的としたアカウントをみつけたらTwitter社に報告をすること。報告をするフォームはここにあります。https://support.twitter.com/forms/abusiveuser

また、今後のために、継続している嫌がらせは記録をとること。自分にURLをメールしておく、魚拓を必ずとっておく。

そして、嫌がらせを受けている人やそれを見つけた人は、tweetを自分独りで抱ず、人目に晒すようにTweetすること、それに対して罵倒してきた相手のtweetも、また必ず人目に晒すこと。抱える密室にしてしまっては、相手の思うツボです。それを見かけた人もまた、罵倒している相手をレポートする、指摘する等、できる方法で対応し、相互援助関係を普段から築いておくことはいざという時 身を守る術となります。

もっと簡単にできることがあります。そのような行為をしている人を、フォローすることを即刻やめることです。あなたがフォロワーになっていることで相手は自分の行為を承認されています。これは嫌がらせに加担することとどう違うのでしょうか?

今、自分のフォローを見直すことからはじめてください。

Mina

トロル行為と性犯罪

表題では「トロル」と表現したが、現在のところ私には日本語として腑に落ちていない言葉なので、以下「嫌がらせ」等と表記する。

 

ネット上で他人に常軌を逸した嫌がらせを長期に渡ってしつこく続ける行為に関して、様々な人が様々なことを述べるのを眺めていた。いわゆる痴漢行為のそれにつくづく似ていると思う。他に人がたくさんいる中で堂々と行われる。衆人環視と言っておかしくない状況なのに、助けようとする人は滅多にいない。怒ってはっきりした行動を起こせば、周りから否定されたりやんわりと拒絶されたりする。まるで「逆らわずにそのままやられ続けてろ」と言わんばかりに。あるいはされる側に原因を求め、責任をかぶせるようなことをし始める。行動を変えろと言ってきたりする。

問題行動を起こしてる側を誰も止めない、咎めない。された側の方ばかりにどんどん荷物を積み上げるのだ。第三者が、時に善意の顔すらして。他人から理不尽な嫌がらせをされた人に、何も言わず耐えるというコストを払わせ、むしろ勝手に削り取って、おかしな人がそのまま嫌がらせし続けるための環境を守り整えている図式ではないのか? 不快な経験から回復するにはそれなりのエネルギーを消費する。他にもっと楽しかったり創造的だったりすることに回せたはずのエネルギーを。彼らが余計なことをしなければ払わずに済んだコストを。
人の悪意は自然現象と違う。忍耐はただで無限に湧いてくるものではない。立ち直ったかのように見えても、往々にして心の底には澱がたまったままで、当人を蝕み続けたりする。そのまま死に追い込むこともないとは言えない。

またよくある反応が、「気にしなければいい」「私なら気にしない」と言ったものだ。私にはほぼ意味が分からない。ああいうものは「気にする/しない」じゃなくて「なる/ならない」という種類のものだと思う。Aさんにとって気になるかどうかと、Bさんにとって気になるかどうかは、全く別の独立した話だろう。今それ関係なくね。「嫌がらせしてくる人々はあなたよりずっと低ランク(?)なのだから気にするな」もちょっと理解が難しい。いろいろ考えて、「上下関係(?)が覆されたので不快」という解釈なのかと思ったが、正直ピンと来ない感覚なのは変わらない。
そこでふと連想したのは、男性で痴漢被害を受けた場合に起こりがちな反応の話だ。他人に話す時は冗談や笑い話の形にしかできないとどこかで読んだ。傷ついた姿を見せるのは弱さの証であり、弱いと見なされると序列が一気に落ち、自尊心が余計にむしばまれ、悪くするとより苛烈な暴力の標的になることがありうる、確かそういう理由だったと思う。ネット上の嫌がらせについてもこの図式が当てはまるなら、怒ったり傷ついた様子を見せたりすることは、そういう世界観の人からすると「序列を自ら下げる」行為に当たるのかもしれない。そして嫌がらせをしている人にとっては、「自分の力が相手に及んだ!」「勝った!!」という解釈になったりするのかもしれない。さらに邪推すると、「私なら平気、気にしない」と言い出すことは、「私はお前より強いんだ」というマウンティングの性格があったりするかもね。
人として当然の反応なのにそれを封じられるのはきつい。序列争いの材料にするのは不毛だと思う。痛みや悲しみを回避せず直視するのには、本当にすごい力や強さが必要になる場合もあるのに… と書いたら、話がランク付けに戻ってしまうな。だけどこの際だから添えておく。大事なわりにすごくないがしろにされてると思うから。
他人から卑劣な攻撃を受けている時、周りが誰一人として手を差し伸べないという経験は、社会への信頼というものをずいぶんひどく損うはずだと思う。「他人をそういうふうに攻撃することは、世の中で許され受け入れられている」「私はそのような扱いを受けても良い、問題ない存在だと見なされている」という、この上なく明白なメッセージとして機能するから。もちろん見過ごす人々全てに悪意があるわけではない、単に恐くて手出しができない人も多いはず、そう頭では分かっても、実感として身にしみるのは強烈なものがあるはず。しかもそれが何度も繰り返されて改善されそうもないとなれば、属性まるごとへの嫌悪が抑えられなくなったり、諦めたり無気力になったりしても誰が責められよう。

攻撃者に目をつけられるのが悪い、気にせず受け流せないなら発言や行動をやめてしまっても仕方ない、そういう考えもあるだろう。しかしそれでは結局のところ、表われてくるものの画一化を招くだけではないか? 相当タフか、果てしなく鈍感か麻痺しているか、そういう人しか出て来れなくなるのではないか? 多くの人にとって見えづらい場所から、小さい声で恐る恐る語り出されるようなものごとを、口にする前からことごとく葬り去る作用を持たないか? そうやって沈黙し、姿を消してしまった人々を、誰しも何人か思い出せるのではないか?

ごく一部の、とても恵まれた条件を持つ人々しか発言に至らない、続けられないような世界に、言論の自由があると言えるだろうか。

攻撃者を完全に排除することが可能かどうかはひとまず問題にしない。どういう世の中であってほしいかという話をしているつもりだ。
あなたはどんな世の中を望みますか。
暴力を振るって良い人も振るわれて良い人もいない。私はそう思っているし、そういう社会であって欲しいと願っている。そのためにできることは何があるのだろう。

座礁して

死ぬことも叶わずいいかげん長生きすると戦争に一家言あるかのような人間になるのかという疑問はひとまず置いといて、メディアで喧伝されるような、あるいは学校で教育されるような最大公約数の見解だけではなく、肉親を介して伝えられる記憶というものが、ここでも誰しもとは口が裂けても言わないが、一般的にはあるだろう。

私の断片的な記憶で口伝を辿るのなら、亡くなった仙台の大叔母は郡山空襲(1945(昭和20)年4月12日)の折に郡山駅に勤めており危うく難を逃れたという。「あれは地獄絵図だった」と聞いた気がするがその詳細が話されることはなかった。また父母の実家にあたる石川郡平田村や田村郡小野町で米軍の機銃掃射を受けて亡くなった人の話も聞いたが、なんでこんな山奥でと疑問に感じるものであった。遡って、私が母に手をひかれていた頃、小野町のバス停で片腕が無い人を見かけ、指差し「どうして、あの人には手が無いのか」と尋ね嗜められた記憶もある。

ややこしいのだが母は叔父夫婦の養女として育てられた関係で、父母をそれぞれ二人もつ。政略結婚だったという説もあるが、生みの母は従兄弟にあたる東京蒲田にあった電気工事業を生業とする家に嫁いだ。重(しげ)ちゃん(夫)がいればそうはならなかったろうと言われたが、嫁ぎ先でいまでいういじめに遭い、結核を罹患して実家に戻り後に幼い母を残して死別することになる。重ちゃんが不在であったのは出征していたからであり。肩で風を切って歩いていたという無頼漢でもあった祖父は後に精神を病んだ。

母を実際に育てたのは健在だった祖母であったが、育ての母にあたる都美子は空に敵機を見かけると、母をおぶって一目散に防空壕に隠れた。赤ん坊が泣くと飛行機に聞こえるので泣かせないように必死だったそうだが、それも笑い話だ。けして賢いとはいえないこの馬鹿正直な気性の祖母が私の記憶に残る祖母であり、いまでも美味いものを食わせてやりたかったなあと思う。

他にも思い出されるエピソードはあるが、あまりに個人史に傾きすぎるだろう。

筆者:  Lazarus

自由であること

戦争など起こらないほうがいいということは誰の目にも明らかなことですが、世界にはまだ戦争が存在します。残念ながら人類は武力なしで全ての争いを解決できる成熟に至っておらず、時には武器を取り戦う必要があります。しかし、日本が今やろうとしているのは、そういった止むを得ない場合に行使する力を整えることとは言えません。

自由主義社会の人たちは、自由を守るために犠牲を払っています。日本は他国の兵士が血で贖った平和を享受していると批判を受けることもあるでしょう。今この時にも戦場にある兵士たちや、その身を案じる家族や恋人に「どうして、あなたではなく自分なのだ」と言われたら、私には返す言葉がありません。しかし、その心の痛みを安直に解消するために、日本が武器を取り戦うことはできません。日本にはその資格がないからです。

日本が武力を持ってはいけないのは、真に自由主義であると言えないからです。先の大戦の終わりに至るまで、日本の支配層は自分を大きく見せる幻想に取りつかれ、報道はそれを煽り、人々は熱狂しあるいは流されてそれを受け入れ、周囲の国々に惨禍をもたらし自らは破滅しました。そして、戦後70年を経ても日本の本質は変わっていません。そのような社会が再び武装することになれば、いずれ同様な結果をもたらすでしょう。

全体主義社会の中で生きるのは、ある一面から見れば楽なことです。意思決定を上位の存在に委ね、ある程度の自由と食うに困らない環境を与えられて、ただ従っていればいいのです。他の社会との競争において、個を抑えて秩序を重んじる構造が有利に働く局面もあるでしょう。しかし、その意思が誤った道に向かう時、考えることを放棄した社会の構成員にはそれを止めるのは難しくなります。人間が「上の命令に従って、周りと同じことをやっただけ」で想像を絶するような残虐行為に及ぶことは、歴史上の数々の出来事が証明しています。ナチスドイツ、ルワンダのフツ族、オウム真理教、もちろん大日本帝国も。

人々は言うでしょう。「命令されてやったけれど、他に選択肢はなかった。従わなければ自分が殺されていた。本当に悪いのは上の者だちだ」と。しかし、そのような社会にしてしまった責任は、その人たちにもあります。調べて、考えて、他者の意見も検討して、自分の意見を表現することは、誰かの言うことを鵜呑みにすることよりも手間がかかります。集団内に軋轢を生むことは嫌われるし、その同調圧力にも抗うことになるでしょう。それでも私たちは、それぞれが善を追求し、意見を述べ合い、進むべき道を選んで行かなければなりません。怠惰に流されるままに、悪意ある者に利用され、その手足となるような社会にしてはいけないのです。

そもそも人間は、ひとりひとりが幸せになるために生きています。社会も国家もそれを支える仕組みとして存在します。自由を尊重する社会を実現して初めて、それを脅かすものと戦う資格を持つのです。国際社会の平和の実現に日本が戦力という形で貢献していないことを申し訳なく思うなら、まず、日本が真に自由を希求する社会にならなければならないのです。

野心のある大国の拡張傾向から身を守らねばならないという言説はもっともらしく聞こえますが、それは本当に今起こっていることでしょうか。「隣人がお前のものを奪いにくる。その前に殺さなければならない」と、どう違うのでしょうか。解決する手段は戦力を整備し誇示することだけなのでしょうか。はたしてその方策は有効なのでしょうか。全体主義の脅威を叫びながら、それに対抗するのに自身が全体主義化するのは本末転倒ではないでしょうか。そうなった時に、今味方である国々がそのままの立場でいるでしょうか。

私は自由でいたいと思います。他の人たちにも自由であってもらいたいと思います。そのために戦うことも、時には必要かもしれません。しかし、誰かの幻想の中にある「立派な国家」を守るために戦うのは馬鹿げているし、利用されたくありません。それに流されないためにも、私は自由であろうと思います。

一プレイヤーとして

最近印象に残った記事がある。

tokyoshinbun

戦時中NHKアナウンサーだった近藤富枝さんのインタビュー記事。(東京新聞より)
「今の日本とほとんど同じだと思う。庶民が無関心でいるうちにおかしくなっていった。始まりは満州事変。軍部が『戦争ではない、事変だ』とうそをつきながら軍事行動を続けても、一般の人の関心は本当になかった。真珠湾攻撃にしても、ある日突然、ラジオのニュースで知った感じ。言葉でだますのが為政者の体質なの。『八紘一宇』とかいろんなスローガンを作って先導し、退却を「転身」、全滅を「玉砕」ってごまかして、死というものに鈍感にさせた。戦争はひとりでに始まり、ひとりでに恐ろしいものになってた。
….全滅なら残酷でも、玉砕だとなんか美しくなっちゃうじゃない。言葉って怖い。『終戦』だってうそよ、本当は敗戦なのに。だから今どきの政治家が軽くかんがえるようになったんじゃない?」

敗戦を、「終戦」と言い換えることから、日本の戦後の嘘は始まっていた。
第二次世界大戦は日本にとっては”戦争”ではなくて
”東アジア圏を列強諸国から守り、平和を築く”,そう「積極的平和主義」そのものだった。

敗戦に70年たっても向き合うことができないまま、また戦争ができる道へ、
憲法を変えないままに拡大解釈によって日本が踏み出そうとしている。

私には戦争は遠い時代の話ではなかった。
子供の頃から「戦争は絶対にいけない」「日本は平和主義の国」と教科書で習い、毎年夏になると「戦争を知っていますか」という戦争体験者が涙を流しながら戦中の話をするNHKの番組が流れ、図書館や学級文庫には「はだしのゲン」が並び、皆がおそるおそるでも食い入るように読んだ。
「ビルマの竪琴」「火垂るの墓」「太陽の帝国」.. 第二次大戦を描いた映画も夏になると流れ、子供の頃から沢山みた記憶がある。
18歳の時、米国に留学している夏に母から送られて来たのは「ひめゆりの塔」の本だった。
どれも、戦争に散った命を美化したり賞賛したりするものではなく、
惨めで、棒切れのように人が死んでいき、意志に関わらず運命を翻弄される。
身体の痛みこそなかったけれど、命を無為に突然奪われる空しさ。
周りの大人が、精一杯「日本は二度と戦争をしない」と教えてきたのが、
わたしの子供時代だった。

でも今周りを見渡す。
習ってきたことをひとつひとつ、黒く塗りつぶすような声がきこえてくる。
「南京大虐殺はなかった」
「従軍慰安婦の強制連行はなかった」
「非核三原則は当然だから触れなかった」
「核ミサイルは弾薬である、だから日本も輸送できる」
「戦争をできるようにする法案ではなく、国民を守るためにつくる法案である。」

ひそひそと小声で囁かれていた事がいつのまにか大声で
まことしやかに述べられて、すっとまかり通る気がしてくる。

周りから聞こえてくる大きな声が、自分に問いかけるようだ。
「70年もたつと色んな状況が変わるでしょう?」
「本当だと思っていたことだって実際はこうなんだよ。
知らない無知な君がとやかくいうことではないよ。」

耳障りよい言葉、大きな声、”多くの人が信じている”と言われることを
受け入れることはどんなに安心で、簡単だろう。
でも、大きな声で聞こえてくることだけに耳をすましていては
破滅に向かうということを70年前に経験したのが、日本だった。

4年前に視線をうつしてみる。
日本は震災と原発事故に見舞われた。
今でも避難生活を送る人々は復興庁が発表するだけで20万人いる。
健康で文化的な生活の場所を根底から奪われた人が、20万人いる。
「原発は安全でクリーンなエネルギー」
「破滅的な事故が起きる確立はとても低い」繰り返し述べられて来たこと。
でも、事実は違った。
20万人の人が移住しなければならない破滅的な事故がおき、
未だ収束していない原発は安全なエネルギーとはもう言えない。それが事実。

東北震災と、その後の為政者の玉虫色の言葉に晒された私たちは
かつての私たちではない。
不幸中の幸いというか、大きな声で一つのことが叫ばれる時には
何かが覆い隠されていることを、経験によって知ってしまった。

これからのために、前向きな明るい話を少しでもしたい。
70年経って何が大きくかわっただろう?
外交と一言でいっても、それは国と国の代表が恭しく交わすものだけではなく
日常的に私たちが情報や文化や経済をやりとりする、
それも外交の一部になったとは言えないだろうか。

戦後長い間禁止されていた日本映画は2004年に全て韓国で放映可能にになり、
韓国のドラマや映画は日本で日常的に放映されとても人気がある。
最近では同性婚が全米で認められるや否や、
日本でも渋谷区や世田谷区がそれに続いた。
連日報道された香港の学生デモが、今の日本のSEALDsの活動に無関係だとは思わない。

最低限健康で文化的な生活を送るための人権意識が、
広く世界中に広まり、
人権を守ろうとする小さな潮流でも
国家の枠組みを軽々越えてまたたくまに伝わって行くのが、今ではないだろうか。

”国家”に全てを握られていると、悲観しすぎず、自暴自棄にならずにいよう。
全体主義は必ず、内側から倒れてきたことは歴史が証明しているし
破滅への疾走を再び経験しなければならないほど、
自分達をおとしめることはないはず。

自分の国と関係のない場所にいって棒切れのように死にたいひとがいるだろうか?
拷問を受ける立場を自ら望むひとはいるだろうか?
また、誰かにそれを強いたい人はいるだろうか?

一度手にした人権意識を、それが瞬時に繋いでくれる世界との連帯を、
自ら手放してはいけない。
その感覚を頼りに、対話を重ねていこう。
外交は、もはや”国家”だけがプレイヤーではないのだから。

最後に、アジアの方々に心からお詫びしたい。
日本がかつて侵略戦争をしたこと、わたしは本当に申し訳なかったと感じています。
沢山の人を殺して、辛い想いをさせたこと、
今でも日本へ恨みをもっている人も沢山、いるだろうと思う。
貴方の目を私は見つめることができるだろうか?

今も続く、鈍感で無知で傲慢な振る舞いを、どうか許して欲しい。
ごめんなさい。

わたしが今できることは、大きな声に惑わされることなく
日本人である前に一人のひととして、
向き合って対話をしていくことです。
そのために耳をすませ、言葉を重ねていこうと思っています。

これからも、隣同士で対話をさせてください。
あなたがたの姿勢にいつも刺激を受け、背筋を伸ばす想いでいます。

Finally, I would like to apologize from bottom of my soul to people in Asia, who suffered from the war caused by invasion of Japan. Japanese killed so many people, and caused great sorrow and suffering from what we did, also how we behave ignorantly even now.

What at least I could do is not to just listen to loud voices, but hear and talk to people very next to us. I am a human being just like you before I am Japanese.
Please be there to talk for another decades. You always have been and will be inspiration for us to straighten ourselves.

筆者: mina

操るもの

戦時中の亡霊みたいな言葉を見かけることがとみに増えてきた。そう感じるようになったのはいつ頃からだったろうか。先の大戦という文脈に乗らない「英霊」の使用で引っかかったのはもう10年以上前。公私の別なく、さらには右左とやらの立場も問わず、ちょくちょく視界に入る。自分の嗜好が多大に反映されているはずのネットですらそうなのだ。愛国、憂国、国益、売国、売国奴、非国民。「玉砕」あたりなら、もっとずっと以前から、かつての使われ方と一緒にならないよう、冗談になるような意味合いで使うこともあったけど。「不敬」がかつての意味そのままに近い用法でさらっと混ざっており、かなりぞわぞわしたのはここ5年くらいのこと。そのうち「御真影」あたりも復活して「遥拝」も登場するんだろうか。最近はついに「散華」を見かけてしまった。本当に怖い。
特定の思考や行動様式に従わない者を糾弾し吊るし上げるための言葉。個人のただただ悲惨な死を脱臭し美化するための言葉。みこしを持ち上げて疑問を抹殺するための言葉。それを支えるイデオロギーの数々。
全ての言葉は歴史性をまとっている。かつて使われた場面の数々に加え、それらの根である観念と思考様式まで、芋づるみたいにぞろりとまとわりついてくる。切断することはできない。不用意に選んで書いたり話したりしていると、知らないうちにそれらもまとめて肯定し、望まぬものに加担しかねないのだ。
言葉は使う者を支配する。むしろ言葉が発言者を使う。かつての日本は私たちの中にずっと生き続けていて、一気に可視化されてきたのかもしれない。一時姿を現したという渋谷川のように。

兵器のことは全く分からないし興味もないが、昔の日本の戦闘機や戦艦の名前はとても好きだった。スペックは知らない、理解もできない、歴史も運命も特に調べない、だけど名前だけはすごく心ひかれた。何しろ美しい。各種の自然現象や花、いろんな日本の地名、山河から借りられたそれらは、漢字の姿すら魅惑的に映る。音も加わったらもっと強力かも知れない。
美しいものには気をつけねばならない。
同じ名前がついているものにはどうしても引きずられる。普段から身の周りの自然になじみ、折に触れて美しさを愛で、素朴な愛着を覚える心を動員する働きがあると思う。そして美化する。ナチのかっこいい制服より性質が悪いかもしれない。今なら「二次嫁」もそうだろうか。
この時期は流通量が増える、戦争にまつわる物語。空襲や被爆や特攻が種々の語られ方をする、そこまでは良い。しかし自らを被害者とみなす視点ばかりなのは引っかかる。「このような地獄を生み出す戦争は二度と繰り返してはならない」の影に、「あんな事実やこんな過去はなかったことにしたい」欲求が隠れ、さらには「今度こそ勝者の側に立つ、そうすれば我々にこのような被害は生み出されない」に向かっているような気がする。自分の気分が良くなる所、はっきり言えば自己愛のエサにできそうな部分だけを取捨選択してつまみ、かつて存在した人の物語を口当たり良く加工して書き換えるのは、時に死者への冒涜にならないか? 今現在生きている被害者への侮辱が繰り返されて、空気のようにすらなっている世の中なのに。
言葉を血肉とし、物語を取り込み骨とする、私はそうして成立しているのだ。思っている以上にちょろくて乗せられやすいはず。だからこそ用心せずにいられない。言葉ですくい取れないものの方がいつだってずっと膨大で、非業の死が美しいのはフィクションの中だけ。実在する他人の命や人生で、破滅や悲惨の美学とやらを味わいたい欲求がある。おそらくは私にも。地獄みたいな経験はなければない方がいいに決まってる。分かっているつもりなのに。

自分の言葉で語るのは、なぜだかいつも怖くて、できれば永久に隠しておきたい気持ちがある。ここ何年かは特にそうかもしれない。だけど、納得の行かない、少しでも引っかかるような言葉を使って流されるのはもっと嫌な感じがする。頭の中の自由を自分以外の都合でいじられたくない。明け渡したらおしまいだと思っている。蟻よりも微力だって気がしていても。せめてささやかな抵抗の証としてここに記す。次の8月15日が今よりましになっていることを祈って。

少年兵

もうね。何が怖かったかって、個人的に怖かったのは、メーホンソンの山道を125ccのカワサキで走っていたときに砂利道で転倒して、すぐ眼下に崖が開けていたときや、メキシコシティで見るからに危ない連中に囲まれて全力で走って逃げたこととか、モロッコは良い所なのにタンジェの街だけは、ひどくイヤな感じで怖くて、暗いホテルの部屋でじーっと気配を殺していたり、バンコクで乗ったタクシーの運転手さんが明らかに覚醒剤中毒ぽくて、吐く息の匂いが嗅いだことのない邪悪な臭いで、行き先を伝えるまえにアクセルぐいーんて踏まれて、もうこんなときに言うべきタイ語なんて咄嗟には思いつかないわけで、ふと見た運転席のドアのポケットからは山刀の柄が見えてるし、走行中にドア開けて飛び降りたら危ないよなあ……などと考えていたら赤信号で停車したんで百バーツ札渡して「ここでいい。ありがとう」と逃げ出したり、でもそんなの四年まえの郡山で遭った震災のときの「もうだめだ」には敵わない。思い返すとよくここまで無事に生きてきたよなあ、と思う。

でもやっぱり文句なしに一番怖かったのは少年兵だ。
少年兵はライフル持ってて、銃口をおれに向けてくるからね。
ガラス玉みたいな、切れない刃物みたいな、蛇が笑ったらこんな目つきなのかな、って目。
銃を構えながら何か言ってて、でもクメール語だから、何言ってんのかわかんないし。
そんなとき、助かる方法は幾つかあるんだろうけど、おれが知ってる唯一の方法は「失禁する。それを見た少年兵が鼻で嗤って銃口を下げるから」というもので、ちょっと考えてみても、それはあんまり有効とは思えない。この方法で他の少年兵でも銃口を下げて命拾いできるのか、カンボジア以外の地でも通用するのか。そのへんもぜんぜん保証できない。
つうか戦場で身を守るためには失禁なんて、有効なわけないよね。そもそも、あそこは戦場と言っていいのか。内戦の最前線から遠く離れた場所だったし。

少年兵が何を思っていたのかなんて、今になってもわからない。
敵でも味方でもなさそうな、何だか関係ない他所の国のおっさん。そんなの撃ってもどうってことないって事だったのか。わかんないよね。
わかったことは、銃は怖いってこと。少年兵は怖いってこと。ここで判断が止まったまま、その後先が考えられない。もう二十数年も経つから、あの恐怖を冷静に考えられるだろうか、なんて思ってみたけれど、やっぱり今年も駄目だった。
記憶に重い蓋が乗ってるみたいで、細かいことが思い出せない。
当時おれは、いっぱしの野次馬のつもりだったけど、銃口向けられたら失禁しちゃうだけの無謀な傍観者で、命をかけてまで人に伝えたいことなんてないんだな、と思い知らされた日だった。
あれは春だったのか。それとも夏だったっけ。それも憶えてないけど、とても暑い日だった。カンボジアだからね。一年中暑いんだ。もう数千年もそんな暑い日ばかり。その頃、あそこでひとが死ぬのは、肉屋が肉を売るのと同じくらいあたりまえのことで、よっぽどの用がなけりゃ、そんな所へ行ってはいけない。

カンボジアで怖い目に遭うまえは、戦争についても、何か意見があったはずなんだが。なんかね、撃たれてもいないのに、言葉が粉々になって、その輪郭を埋める言葉を拾い集められない。
野次馬(ジャーナリストね)をやめて、五年くらい日本語から離れてもみたけど、ほかの国の言葉でなら言えるのかというと、もちろんそんなことはなくて、戦争については、「あれは、よくない」と言うのがせいぜいで、なん年か経って、うまく考えることができたら、また書こうと思います。

筆者: kochasaeng

目印

終戦記念日が近づいてくると、戦争にまつわるエピソードの記事を新聞、テレビニュース、web、SNSなどで多く見かける。それは毎年の事で、私が子どもの頃から、自分の生活の中で当たり前にある日常の一部だった。
戦争の悲惨さを伝える手記や記事、TVから流れてくる戦争体験談、そのどれもが恐ろしく哀しい話であったと思い出される。

正直それらに触れるのは嫌だった。
今でもなんとなく避けている。
子どもの頃は怖くて、そんな時代に生まれなくて良かったと安堵した。今は、特に自分に子どもが生まれてからは、戦争の話を見たり、聞いたりするのが辛い。そんな自分に後ろめたさを感じつつ、今までの様にこれからも平穏な生活をずっと続けて行けると思っていた。
今、政府のしている事に強い不安を覚える。自分が立っている場所は、あの時から大分離れた所で、先行きはどうなるか分からない。もしかしたら、話に聞いているだけだった悲惨の中に飛び込む事になるかもしれない。
そんなのは、嫌だ。
私個人ができる事などほんの少しで、少しどころか殆ど無い様に思う。けれども自分と自分の身近な人達の幸せの為に歩いて行こうと思う。
8月15日を前にここに自分の目印を立てて行きます。

筆者: nasu

八月十四日の一葉

江の島に自転車で行くときに、風に乗った海鳥の群れが後からやってきて、並走しながら一緒に橋を渡ったことがあります。
たまたま風の具合でそうなったのか人間で遊んでいたのかわからないけれど、お互いを意識し合った数十秒間は普段と違って、心に残っている出来事です。

散歩中に猫に声をかけて返事が返ってくればうれしいし、家族や友人・好きな人と話したり食事をすれば楽しい。知らない人と友達になれればさらに刺激的。

私はことなるヒトと対話する清新な驚き、そういうものが生活の前面にあり、「国」や「政治」はその後方にあって人を支えるものであってほしい。
2008年、大学3年生だった頃に、今の日本の状況は戦後というより戦前に近くなっているのではないか?と思ったことがあった。
2011年、あの地震があって、とっくの昔に死に絶えたか古い本の中に痕跡を残すだけになっていると思っていたものが、実は生きていて厚いカーテンの後ろで息を潜めていたことを知った。
2015年の今、彼らは表舞台に立ち「我々はこうしたい」「我々はこう思う」だけで法律を捻じ曲げ、国や政治こそが主でひとりひとりの人間は従であるという体制を作り上げようとしています。

私はひとつになりたくない。
おそらくこれから数年の間、さまざまな「一丸となって」困難な局面に立ち向かおうという運動が出てくるでしょう。
自分の思った差異や違和感を表すことがさらに躊躇われる社会になるかもしれない。
しかし私はお互いを大切にし、誰もがその違いを枉げられないという、過去多くの人がそうあれかしと望んだ場所でこそ生活を営みたい。
通勤電車の障害物だと思っていたカタマリが実は自分と同じ人間だったということ。
あなたにとっての「他人」が「他の誰かにとっての大切な人」であるということ。
そんな当たり前のことすら、考え感じることを怠けてしまったせいで実感することが難しくなっている。

地震の後、私たちは喪失を悲しみお互いの無事をよろこびあった。
70年前、世界中で同じことが起きていたと思う。
そこには全体の一部でない、ひとりひとりの人間がいたはずです。

私は目が合った人には手を振りたい。
あなたも振り返してくれるととてもうれしい。
筆者: Lōtophagoi

言葉と自分

いまって「戦後」なのかな、それとももしかしたら新しい「戦前」なのかな、って思うことがあります。変化はいつ頃だったのかな、1995年だろうか、2011年だろうか、それとももっと他のきっかけがあったのだろうかって。昔から何もかわっていなくて、わたしがいろいろなことに気づくようになってきただけなのかもしれない。けど、なんだか色んな変化の流れが急になっているような感覚は確かにあるし。

いつの間にか、言葉がその場その場の体裁を繕うだけ、制限時間を埋めるためのものだけになってしまってはいないでしょうか。自分たちが如何に優れているかを常に声高に確認しないと二本の足で立ち上がることができなくなってしまってはいないでしょうか。それに影響を受けて、すべてを上下の関係でみてしまってはいないでしょうか。挙げ句の果てに、どういうわけか自分のことを暗黙のうちに上に置いていないでしょうか。まわりからどう見られているかだけに気をとられて、中心が空っぽになってしまっていないでしょうか。まわりの視線をエクスキューズにして自分以外のひとになにかを押しつけたりしていないでしょうか。

いま必要なのは、誠実に言葉を重ねること、周りの人たちにどう見られているかを妄想することなく、実際に相手の前に行ってその声を聞いて根気強く対話すること、いろいろな関係性を上下ではなくフラットにとらえること、自分の評価を他人にゆだねないこと、「私」がどう感じ考えるかを一人称で語ること、そうやってひとりひとりが「自分」になること、そんなことなのではないのかな、と感じます。動きながら変わらなければならない、しかも、かなり大がかりに。これはなかなか大変です。最近の世の中を見ていると、少しは素敵な芽が出てきているというような兆候もあるようにも感じます。わたしもまずは自分から大事にしていきたいと思います。