最近印象に残った記事がある。

戦時中NHKアナウンサーだった近藤富枝さんのインタビュー記事。(東京新聞より)
「今の日本とほとんど同じだと思う。庶民が無関心でいるうちにおかしくなっていった。始まりは満州事変。軍部が『戦争ではない、事変だ』とうそをつきながら軍事行動を続けても、一般の人の関心は本当になかった。真珠湾攻撃にしても、ある日突然、ラジオのニュースで知った感じ。言葉でだますのが為政者の体質なの。『八紘一宇』とかいろんなスローガンを作って先導し、退却を「転身」、全滅を「玉砕」ってごまかして、死というものに鈍感にさせた。戦争はひとりでに始まり、ひとりでに恐ろしいものになってた。
….全滅なら残酷でも、玉砕だとなんか美しくなっちゃうじゃない。言葉って怖い。『終戦』だってうそよ、本当は敗戦なのに。だから今どきの政治家が軽くかんがえるようになったんじゃない?」
敗戦を、「終戦」と言い換えることから、日本の戦後の嘘は始まっていた。
第二次世界大戦は日本にとっては”戦争”ではなくて
”東アジア圏を列強諸国から守り、平和を築く”,そう「積極的平和主義」そのものだった。
敗戦に70年たっても向き合うことができないまま、また戦争ができる道へ、
憲法を変えないままに拡大解釈によって日本が踏み出そうとしている。
私には戦争は遠い時代の話ではなかった。
子供の頃から「戦争は絶対にいけない」「日本は平和主義の国」と教科書で習い、毎年夏になると「戦争を知っていますか」という戦争体験者が涙を流しながら戦中の話をするNHKの番組が流れ、図書館や学級文庫には「はだしのゲン」が並び、皆がおそるおそるでも食い入るように読んだ。
「ビルマの竪琴」「火垂るの墓」「太陽の帝国」.. 第二次大戦を描いた映画も夏になると流れ、子供の頃から沢山みた記憶がある。
18歳の時、米国に留学している夏に母から送られて来たのは「ひめゆりの塔」の本だった。
どれも、戦争に散った命を美化したり賞賛したりするものではなく、
惨めで、棒切れのように人が死んでいき、意志に関わらず運命を翻弄される。
身体の痛みこそなかったけれど、命を無為に突然奪われる空しさ。
周りの大人が、精一杯「日本は二度と戦争をしない」と教えてきたのが、
わたしの子供時代だった。
でも今周りを見渡す。
習ってきたことをひとつひとつ、黒く塗りつぶすような声がきこえてくる。
「南京大虐殺はなかった」
「従軍慰安婦の強制連行はなかった」
「非核三原則は当然だから触れなかった」
「核ミサイルは弾薬である、だから日本も輸送できる」
「戦争をできるようにする法案ではなく、国民を守るためにつくる法案である。」
ひそひそと小声で囁かれていた事がいつのまにか大声で
まことしやかに述べられて、すっとまかり通る気がしてくる。
周りから聞こえてくる大きな声が、自分に問いかけるようだ。
「70年もたつと色んな状況が変わるでしょう?」
「本当だと思っていたことだって実際はこうなんだよ。
知らない無知な君がとやかくいうことではないよ。」
耳障りよい言葉、大きな声、”多くの人が信じている”と言われることを
受け入れることはどんなに安心で、簡単だろう。
でも、大きな声で聞こえてくることだけに耳をすましていては
破滅に向かうということを70年前に経験したのが、日本だった。
4年前に視線をうつしてみる。
日本は震災と原発事故に見舞われた。
今でも避難生活を送る人々は復興庁が発表するだけで20万人いる。
健康で文化的な生活の場所を根底から奪われた人が、20万人いる。
「原発は安全でクリーンなエネルギー」
「破滅的な事故が起きる確立はとても低い」繰り返し述べられて来たこと。
でも、事実は違った。
20万人の人が移住しなければならない破滅的な事故がおき、
未だ収束していない原発は安全なエネルギーとはもう言えない。それが事実。
東北震災と、その後の為政者の玉虫色の言葉に晒された私たちは
かつての私たちではない。
不幸中の幸いというか、大きな声で一つのことが叫ばれる時には
何かが覆い隠されていることを、経験によって知ってしまった。
これからのために、前向きな明るい話を少しでもしたい。
70年経って何が大きくかわっただろう?
外交と一言でいっても、それは国と国の代表が恭しく交わすものだけではなく
日常的に私たちが情報や文化や経済をやりとりする、
それも外交の一部になったとは言えないだろうか。
戦後長い間禁止されていた日本映画は2004年に全て韓国で放映可能にになり、
韓国のドラマや映画は日本で日常的に放映されとても人気がある。
最近では同性婚が全米で認められるや否や、
日本でも渋谷区や世田谷区がそれに続いた。
連日報道された香港の学生デモが、今の日本のSEALDsの活動に無関係だとは思わない。
最低限健康で文化的な生活を送るための人権意識が、
広く世界中に広まり、
人権を守ろうとする小さな潮流でも
国家の枠組みを軽々越えてまたたくまに伝わって行くのが、今ではないだろうか。
”国家”に全てを握られていると、悲観しすぎず、自暴自棄にならずにいよう。
全体主義は必ず、内側から倒れてきたことは歴史が証明しているし
破滅への疾走を再び経験しなければならないほど、
自分達をおとしめることはないはず。
自分の国と関係のない場所にいって棒切れのように死にたいひとがいるだろうか?
拷問を受ける立場を自ら望むひとはいるだろうか?
また、誰かにそれを強いたい人はいるだろうか?
一度手にした人権意識を、それが瞬時に繋いでくれる世界との連帯を、
自ら手放してはいけない。
その感覚を頼りに、対話を重ねていこう。
外交は、もはや”国家”だけがプレイヤーではないのだから。
最後に、アジアの方々に心からお詫びしたい。
日本がかつて侵略戦争をしたこと、わたしは本当に申し訳なかったと感じています。
沢山の人を殺して、辛い想いをさせたこと、
今でも日本へ恨みをもっている人も沢山、いるだろうと思う。
貴方の目を私は見つめることができるだろうか?
今も続く、鈍感で無知で傲慢な振る舞いを、どうか許して欲しい。
ごめんなさい。
わたしが今できることは、大きな声に惑わされることなく
日本人である前に一人のひととして、
向き合って対話をしていくことです。
そのために耳をすませ、言葉を重ねていこうと思っています。
これからも、隣同士で対話をさせてください。
あなたがたの姿勢にいつも刺激を受け、背筋を伸ばす想いでいます。
Finally, I would like to apologize from bottom of my soul to people in Asia, who suffered from the war caused by invasion of Japan. Japanese killed so many people, and caused great sorrow and suffering from what we did, also how we behave ignorantly even now.
What at least I could do is not to just listen to loud voices, but hear and talk to people very next to us. I am a human being just like you before I am Japanese.
Please be there to talk for another decades. You always have been and will be inspiration for us to straighten ourselves.
筆者: mina